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増井康人のご紹介

プロフィール

ギターを上辻和信、柴山直人、松本俊雄、小山清、松岡滋、坂本巧の各氏に師事。
指揮法を新堀寛己、小山清の各氏に師事

1969年 大阪市大正区にて生まれる
1988年 新堀ギター音楽院大阪本院に入学
1991年 関西大学 経済学部卒業、野村證券に入社
1993年 野村證券退社、家業の酒販店に従事するがギター・音楽への情熱が高じ2年半後一念発起 してギター専門学校へ入学。
1996年 学校法人 新堀芸術学院入学(新潟県上越市大島区)
1998年 新堀芸術学院卒業、新堀ギター音楽院専任講師(東京・神奈川地区)となる。
新堀ギターオーケストラ入団
この年より例年、東京オペラシティー「タケミツメモリアルホール」や横浜みなとみらい大ホール」等のホールで行われる新堀ギターオーケストラ公演に毎年出演
全日本ギターコンクール教育部門最優秀賞受賞
1999年 新堀ギター音楽院西荻窪教室主任(東京・杉並区)をこれより3年間務める。
2002年 学校法人 新堀芸術学院専任講師となる。(新潟地区)
’03より新堀ギター新潟地区発表会総進行として“300人の市民オーケストラ”を発案。’03’04と2年連続で企画・指揮を務め“3歳~80歳の300人のメンバー”による “300人の市民オーケストラ”の演奏会を成功させ大きな反響を呼ぶ。
2005年 大阪へ帰郷、ミュージッククラブドレミを設立


50年の伝統のある“新堀メソード”を新堀芸術学院で学び新堀ギター音楽院で長年奉職してきましたので、個人レッスンと各種楽器のグループレッスン経験が豊富です。
また、さまざまな楽器が一緒に合奏できる“市民オーケストラ”のプロデュース、指導のエキスパートでもあります。

音楽と私

私のもともとの専門はクラシックギターですが、(一番最初はフォークギターでした、今も弾き語りが大好きです)
色々な楽器が好きな“楽器好き”であり“音楽好き”です。
それぞれの楽器によって特性もあり難易度も違いますが、どの楽器も楽しくてとても魅力があります。
そしてやっぱり何人かでアンサンブルするのが楽しく、合奏することが一番楽しいと思います♪

ドレミ侍

2005年7月に教室オープンを記念して?地元大正駅前で行った宣伝活動 “ドレミ侍”の様子です☆こういうノリも結構好きです♪
でも、とても怪しまれてほとんどチラシを受け取っていただけませんでした…ザンネーン。(今はもうやっていません…)

300人の市民オーケストラ

300人の市民オーケストラ“世界に一つだけの花”
指揮:増井 康人
平成16年7月11日 於:上越文化会館大ホール
“300人の市民オーケストラ”~リハーサル風景より~
’03’04と2年連続で開催された“300人の市民オーケストラ”。とても感動的な音楽会でした。

3才~80才の300人のメンバーが一緒になって演奏し歌った“世界に一つだけの花”

誰もが、何時からでも始められる、一緒に楽しめる “音楽” を大阪でも広めてゆきたいと願っています

ミュージッククラブドレミ♪ から楽しい音楽の輪が広がってゆきますように。

保育園訪問

新潟での活動時期に“保育園”を無料で訪問・演奏していました。“歌のお兄さん”や“ドレミキャラバン”という名前で2人組みのユニット?を組み上越市と柏崎市で合わせて50ヶ所の保育園を訪問しました。

‘03年の“300人の市民オーケストラ”の参加者を募集するために子供達と一緒に“ドレミの歌” を歌って“スカウト” してまわる企画でもあったのですが子供達のリクエスト?に答えて子供達の好きな “アニメソング” や “戦隊もの” の主題歌や当時大流行していた “なんでだろう” 等も “演奏?” して各地で大人気になっていました(笑)♪

大阪でもこのような活動を続けて行こうと思い帰郷してからも近所の保育園を2つ行ってきました。
今は1人なので“ピン芸人状態”ですが少しずつ続けてゆこうと思っています♪
 
両手を上げてバンザイしているのが私です
となりの相棒はバンジョーを弾いています。
さてさて何をしている図なのでしょう?

ご興味のある方はお問い合わせ下さい (笑) ♪

私の母校 学校法人 新堀芸術学院 新潟県上越市大島区

自然豊かな土地にある音楽学校それが新堀芸術学院です。私は“新堀ギターの先生”になるためにこの学校に27歳の時に入学しました。

プロフィールのところでは“一念発起して”だなんて格好良く書きましたが、実際にはほとんど“家出少年?青年?”も同然の状態でした。

この学校の第二部ギター科(夜間部)に入学し、2年間で卒業しました。昼間は学校のすぐ近くの“豆電球の工場”や“ガラス工場”で仕事をしながら学校に通いました。(実は結構苦労人です)

卒業後は4年間東京・横浜地区の新堀ギター音楽院で勤務しましたが、その後今度はまた“先生”としてこの新堀芸術学院に帰ってきました。

そして新潟に帰って来た翌年に自らの企画による“300人の市民オーケストラ”が実現しました。自然の豊かな、心豊かな人たちが暮らす、沢山の素晴らしい音楽愛好家の皆さんがいる新潟は私にとって第二の故郷です。
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